bxblue創業者 グスタヴォ・ゴレンスタイン インタビュー Part 1


ブラジルの起業家に幼少期から成功までの道のりを語ってもらうブラジル・ベンチャー・キャピタルの独占インタビューシリーズ。

今回はポウピ(Poup)を起業後売却し、現在2つ目のスタートアップとなるベーシスブルー(bxblue)というフィンテックのスタートアップを立ち上げたグスタヴォ・ゴレンスタイン氏のインタビューです。

bxblueはシリコンバレーのYコンビネーターのプログラムにも参加したスタートアップで、私どもブラジル・ベンチャー・キャピタルもYコンビネーターに投資を受ける前の段階で出資しているスタートアップです。

 

第一部ではグスタヴォの学生時代の”起業家”としての原体験を語ります。

 

bxblue創業者 グスタヴォ・ゴレンスタイン
グスタヴォ・ゴレンスタイン

Gustavo Gorenstein – グスタヴォ・ゴレンスタイン: 
Yコンビネーターからも出資を受けたベーシス・ブルー創業者。大学で経営学を学んだ後コカ・コーラ社に8年間勤務。その後経営者の参謀となるキャリアから自らが経営者人なるべくキャリアチェンジを決断。最初にポウピを起業しエグジットした後、現在2社目のスタートアップとなるbxblueの立上げに従事。 リーンスタートアップという言葉が今ほど知られるようになる前から自ら実践しているブラジルの起業家エコシステムの中でもリーダー的な存在。

 

Poup – ポウピ:
Poupはオンラインショッピングを行った消費者がキャッシュバックを受けられるクーポンサイトでブラジルでは草分け的な存在。2012年後半に設立後2018年にはキャッシュバックサイトの最大手の一つである。2017年12月にCBSS銀行に売却。

bxblue – ベーシスブルー
bxblueは2016年3月に設立。給与天引き型と呼ばれる、個人向けローン商品の選定から契約までのプロセスすべてを100%オンラインで完結するブラジル史上初のプラットフォーム。

  

え?起業家って私のことですか?

多くの起業家の皆さんは起業家になるきっかけとなった幼少期の美しいストーリーのひとつやふたつは持っているものですが、私の幼少期について言えることと言えば父であるサウロ・ゴレンスタインは本当に勤勉で仕事が好きだったということくらいしかありません。クリスマスに願い事をするときに、皆の健康と多くの仕事に恵まれることをお願いしていたくらいですから。

父は眼科医でヘシフィという都市の小さな家で眼科医を開業しており、私の母とともに働いていました。私にとっては彼らが起業家としての見本ともいえるものだと思います、しかも成功した起業家として。

ただ、私が初めて「アントレプレナー」という言葉を聞いたのはそのだいぶ後の1999年、ペルナンブコ大学で企業経営のコースで学んでいたときのことです。

インターンとしてヘシフィ市でバーやレストランの経営管理をしている会社で働いていた時のことです。この会社の経営者はワインやウイスキーの輸入業も同時に行っていました。仕事で出張に出た時にあるバーの中で何面にも回転して様々な広告を表示するパネルを見た時にこれはお金儲けができそうだ、と瞬時に思いました。

当時パソコンを買いたかったものですから、「そうだ、あの会社はヘシフィで5つもバーを経営しているんだから、あのオーナーにこの広告パネルを売ればパソコン1台くらい買えるんじゃないか」と思ったのです。

メルカドリブレ(ブラジルのオンラインショッピングサイト)にアクセスして自分が見たものと同じパネルの中古品を発見し、バーのオーナーに「これをあなたのバーに置いてもらえませんか」と聞きました。オーナーはなにか疑っているような顔をしていたので、もう少しメリットのある提案をしてみました。「あなたが輸入しているウイスキーをここで宣伝できますよ」と。

オーナーはこの提案を受け入れてくれたのですが、その広告のための印刷費は私が負担しなければいけなくなってしまいました。その後、他の空いている面の広告を販売するべくショッピングセンターのお店を周り始めました。

いくつかのお店が広告料金をシャツやズボンといった商品で支払うというようなこともありました。おかげであんなにきちんとした格好をしたことがないというくらいの服をもらうことになりました。その後、大学の友人とともにこのビジネスを始めることにしました。そして皆で集まっていろいろなアイディアを練っていると、ある日教授から「グスタヴォは起業家そのものだな」と言われました。それまで「起業家」などという言葉は知りませんでした。私は単純にちょっとお金を稼ぎたかっただけだったのです。

 

ビジネスシーンでの経験

私が受けていた経営学のクラスでは学生の多くは外資系企業で働くか官僚になることを目指していました。当時のブラジルの大統領ルーラ氏によって、公務員の給与は民間企業に比べて非常に高くなっていました。でも「起業家」という言葉を聞いてしまった後では、もう起業家以外の何かになることは考えられませんでした。

しかし皮肉なことに、2004年に大学を卒業した時には私がクラスで唯一外資系企業でのキャリアを歩むことになってしまいました。コカ・コーラ社のヘシフィのローカルなボトリング会社が私の広告パネルのプロジェクトについて面接で気にいってくれて、1年後にコカ・コーラ社に呼ばれることになったのです。私はマーケティングが好きだったのでひとまず入社することにしました。

 

当時の私の発想は、自分の会社を興す前に世界で一番有名なブランドで1-2年働くことも悪くない、という程度のものでした。が、結果的に8年もいることになってしまいました。

市場開拓(発展)の分野に身をおく中で、プロフェッショナルになるということを学びました。私の業務はコカ・コーラのフランチャイズ店舗がより売上を上げられるようにサポートするというもので、北東部、中央西部、北部など地方のマーケットを担当しました。首都ブラジリアに移住し、個人的にお金を貯めることができたことに加えて、目標管理とは何であるのかを学び、仕事をきちんと遂行することが何か、プロセス管理、予算管理について学びました。

さらに最も重要なこと「結果をもたらすのは人であるということ。そして、モチベーションが高ければたかいほど人はよりよい結果を出すということ」を学びました。チベーションが高い人が仕事で出す結果は、そうでない人のものとまったく異なるものです。私はあの組織において、それを何度も目にしました。

もうひとつ私が学んだ重要なことは「リーダーシップにおける上司の役割がいかに大切であるか」。これに関し、素晴らしい参考例がありました。私は当時、仕事で失敗することや再挑戦をしても大丈夫なのだと安心感して仕事をすることができました。チャレンジする決心がつかないときには、もし失敗しても私の上司たちは 私の臓器を売りさばくような ことはないとわかっていたからです。

それどころか彼らは、私が間違いを私自身で直すことができるように私のそばで見守ってくれました。上司がいつも落ち着いて自信を持って見てくれていれば、部下も落ち着いて難しいチャレンジにもとりかかれるものです。そのため私が経営者になりリーダーとなった時に、我がチームに最良の人を獲得する方法を私は明確にわかっていました。「私自身が彼らを見守り、面倒を見る」ということです。

 

30歳になろうとしていた時、コカ・コーラを成長させることが私の夢ではないと感じるようになりました。自然な流れで経営幹部になろうかというところにいましたが、私はそうなりたいとは思わなかったのです。もちろん会社に残れば多くの魅力的な待遇が用意されていました。最新の車が手に入り、いい保険に入ることができ、年に一度は家族旅行もでき、住居手当もありました。給与は素晴らしく、生活費を払っても多くが貯金に回せるほどでした。

でも、さらに昇進をしたら、会社を辞めるのがどんどん困難になると感じました。そのため、私は「今しかない」と自らに言いました。それが2009年のことで、当日ブラジルは湧き立っていました。それはルーラが大統領を退任しており、ブラジルでオリンピックとワールドカップを主催する権利を獲得した時です。この国はこの先のすごいことになるという雰囲気に包まれていました。そしてもし起業に失敗しても、企業に戻るよう掛け合うこともできました。私を受け入れてくれると思っていたからです。

 

海外での修士号

私の妻ジュリアナは公務員です。私がコカ・コーラ社を辞めることを考えながら行き詰まっていた時に、彼女は仕事先であるブラジル中央銀行が提供するロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのコースを受ける権利を獲得しました。私も一緒に アントレプレナーシップを学びに行きたかったのですが、私には生徒として優秀であった経験があまりありませんでした。最悪ではないのですが、平凡な成績だったのです。

しかし、私はいくつかのすばらしい推薦状を書いてもらえたので、ケンブリッジ大学に受け入れてもらえました。なんだかよくわからない大学、というのではなく、あのケンブリッジ大学です。私にしては受け入れてくれる学校は少なかったですが。笑)

でも、私はジュリアナと同じ街に住みたかったのです。ケンブリッジからロンドンを頻繁に訪ねるには時間も無駄にし、お金もかかります。最終的には、ロンドンでユニバーシティー・カレッジ・ロンドン(UCL)の テクノロジー系のアントレプレナーシップのコースを受けることに考え至りました。

テクノロジーについて何も理解していなかったのですが。ちょうどiPhoneを買ったばかりで、それが私が今まで見たもののなかで素晴らしいテクノロジーだった・・・そんな状態でした。

 

面接に呼ばれました。私は3つの質問をされたのですが、最初の質問から間違いました。

1)「世界で一番大きく優秀なテクノロジーの企業はどれですか?」「マイクロソフト・・・」

2)「投資に関してあなたが知っていることは?」彼らは、明らかにスタートアップのエコシステムにおける投資、つまりエンジェル投資家やベンチャーキャピタルなどについて言及していたのです。私の答えは「お金を少し貯蓄して、株式を買ったり・・・」その時まで私は管理職として働いていました。私にとって投資とは、利息を稼ぐためにお金を貯蓄することだったのです。

3)なぜ私たちの大学で学びたいのですか?私はリサーチをし、UCLは伝統があり歴史があると知っていたのです。ガンジーもそこで勉強をしました。黒人や女性たち、ユダヤ人を受け入れた最初の大学でもあります。私の答えはそのようなもので、唯一喜ばれた回答だったでしょう。

 

こんな回答をした私でもなんとか合格することができました。

恐らく、面接はまったくダメだったのですが、大学側はラテン地域の学生たち用の枠が空いていたのだと思います。

私とジュリアナが修士課程のために移住した時、2週間に1回はEasyJetでヨーロッパ中を小旅行できるのではないかと思い始めていました。もちろんそんなことは実現しませんでしたが。

修士課程は私たちの時間を全て奪いました。私のように勉強する習慣がない人間にとって、勉強のリズムを身につけるのは困難でした。最初の3ヶ月はケース・スタディーの全てを間違いました。

私はその当時まだコカ・コーラの管理職の頭、つまり大きなブランドで、莫大な予算、広いマーケットを扱う・・・そんな頭でいました。名のあるブランドでもなくお金もないという方向に、私はメンタリティーを移行させなければならなかったのです。このキーポイントを切り替えることが難しかったのです。

まだ、販売のチャンスを失うことができない立場にいるという頭で多くの答えを出していました。「AかBかどちらのマーケットを攻めるのか?」という質問に、「両方だ!買いたい奴に俺は売る!」と答えました。

でも、私が身を投じたいと考えている(アントレプレナーの)世界では、全てを相手にしている余裕も予算もありません。たった一つのクライアントを選ぶ必要があり、トライアルをし、失敗し、そこから学び、共にマーケットを築いていくことが必要なのです。やっとの事で自分のメンタリティーを切り替えることができたのは、全ての課題に当って砕け散った後でした。

この過程において、私を助けてくれた本の一つは、ジェフリー・ムーア著の「Crossing the Chasm(邦題:キャズム)」でした。彼の主張は以下ようなものです −新しい技術が普及していくためには最先端のテクノロジーが大好きな消費者、”アーリー・アダプター”が使い始めてから、保守的だが市場のマジョリティーである一般消費者へ広まるまでの間の大きな溝(キャズム)を埋める必要がある− 。

この本は私が、”万人に売れることを考えた商品で商売を始めるな”ということを初めて理解するきっかけをくれました。まず最初に変わり者の消費者でトライアルをして、その後テクノロジー好きな人たちに魅力があるように適合させる。そしてそのあとに、一般大衆(マジョリティー)に提供していく。

 

エレベーター・ピッチ

修士課程の中で重要な挑戦の一つはピッチコンテストでした。ピッチとは、5-15分という短い時間の中で、投資家に対しもっとビジネスプランの話を聴きたいと思わせ興味を持ってもらうように自分の考えをプレゼンする方法です。それは”エレベーター・ピッチ”とも呼ばれます。あなたがエレベーターに投資家と乗り合わせたとして、1階から3階に移動するちょっとした時間に、あなたのプロジェクトに興味を持ってもらい、”明日一緒に昼食はどうかな?”と行ってもらうようにプレゼンをするというものです。

4−5人の生徒で構成された私のグループは、”ロンドン・アントレプレナー・チャレンジ”という名の、ロンドンのピッチにおける最大のコンテストで優勝しました。私たちのビジネスは、修士課程の中で創設したスタートアップであるTip Gainというもので、新しい顧客を取り込むようにあるレストラン顧客ベースを集客に活かすためのものでした。

そのお店のことが好きな顧客が他の人に紹介し、紹介された人は割引を獲得し、紹介した人もコミッションを手にすることができる、というプログラムを提供するものです。

このTip Gainでの経験は、起業家になるとはどのようなことなのか、私に初めての知識をもたらしました。

 

サマー・コース

そのような中、ヨーロッパのハーバード・ビジネス・スクールともいえる、ロンドン・ビジネス・スクールのサマーコースが開催され、私たちUCLのコースの人たちはそれに参加できる奨学金がありました。小学生の選定をするのは、私がすでに読んでいた本「新しいビジネスのロードテスト:ビジネスプランを作る前に起業家や管理職の人がやるべきこと」の著者ジョン・ミュリンズでした。その選抜に申し込もうとトライしましたが、すでに登録は終わっているのだと言われました。

選出は次の日の午前中に行われ、その時候補者の書類が先生に提出されることになっていました。私が話していた窓口の女性は、私が繰り返し頼むと最後には折れて「わかりました。あなたが明日の朝7時までに記入済みの書類を提出すれば、他の候補者の書類と一緒に先生に渡しておきます」と言ってくれました。しかし、その書類は質問と回答が詰まった分厚いもので、私は絶望的になりました。

夜明けになるまで図書館で徹夜する事になりました。私たちはロンドンで学生が共同で住むエリアにいたのですが、同じ場所に住むロンドン・ビジネス・スクールで学んだことのある学生の一人はジョン先生の授業を受けたことがありました。そこでその人に、ジョン先生の心を動かす”鍵となる言葉”や彼が教えてた事は何なのか尋ね、その言葉を回答を書き込みました。

そして、その結果、なんと私は奨学金を獲得することができたのです。

起業家になるとはそういう事じゃないですか?

世の中には簡単ではない事と、難しくないことがあります。ただ、簡単ではない、という事をそのまま簡単ではないと受け入れない、ということだと思います。

 

責任はエリック・リースにあり

修士課程を終わらせるために、授業で学んできたセオリーに関して論文を書く必要があり、私はブラジルでも知られている”リーン・スタートアップ”について扱うことに決めました。このコンセプトは、エリック・リースにより作られ広められたものです。まだその当時は彼の著書“The Lean Startup(邦題:リーン・スタートアップ)”は出版されていませんでしたが、彼はブログの中でそのことについて言及していました。

皆が彼のセオリーについて話をしていました。私の論文は9月5日に提出しなければならなかったのですが、リースの本は10月5日ぐらいに出版される予定になっていました。しかし教授陣がその採点をするは2月までの期間です。私が論文の中で語ることはどんなことでも、リースが後に出版するの本の中身より劣っていることは間違いありません。その可能性を考えると、私の頭は真っ白になりました。

何週間も図書館に通いながら、何も書くことができませんでした。家に戻り、同じく修論を書いていたジュリアナに話しました。「ねえ、今日どれくらい書けた?」 すると彼女は「5ページ書いたわよ。」と答えました。私は1枚も書いていませんでした。次の日も「で、ジュリアナどうなの?」彼女は「1ページよ」でも私は0ページ。2週間後には、彼女は20ページも書いていたのに、私の方は1枚も書いていませんでした。

 

そんな状況が続いた3週間後、エリック・リースの本が出るまで6ヶ月の間修士課程を修了することをほぼあきらめていました。しかしその時、両親は私をそんな臆病者に育ててきたのではないのだ!と思ったのです。

私はメールを開き、このように書きました。

「親愛なるエリック・リースさま。私はブラジル人です。私はリーン・スタートアップについて学んでいます。まさにあなたが書いていることと同じテーマについて学んでいるのです。しかし、私はあなたが原因でとんでもないことになるのです・・・」

私は、私のもつ全責任を彼に転嫁しました。このメールを送った後、私は解放されたのか修論を10ページほど書くことができました。

 

次の日、驚くことに返信があったのです。

「私はエリックの編集者です。あなたの電話番号を送ってくれますか?」

そして、私はリーン・スタートアップの出版原稿のコピーを受け取り、修論を終わらせて、修士の名誉を手にすることができたのです。


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